終末期医療を考える

終末期医療を考える
~安楽死、尊厳死、老衰死、平穏死~

人間には必ず最期の日が訪れます。死因から考えると、病死と外因死、事故死、自殺と他殺などの要因や分類もありますが、ここではがんの末期や神経難病の進行期、老衰など最善の治療をしても多少の延命はできるが、近い将来の死が避けられない状態でどのように最期を迎えるかのお話をしたいと思います。

副題に4つの死のあり方を挙げましたが、それぞれを定義してみます。

安楽死

狭義の安楽死は不治の病で苦痛から患者を開放するために意図的・積極的に死を招く医療行為(致死量の薬剤を注射するなど)を講ずることです。これは積極的安楽死と言い日本では認められていません。延命処置をしないという消極的安楽死は尊厳死とほぼ同じ意味になります。

老衰死

加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下し、多臓器不全となって生命活動の維持が困難になることで迎える死のことです。つまり癌や脳出血、神経難病等の明らかな原因がなく、老化とともに自然に全身的に不可逆的に衰えていって亡くなるということです。これはあくまで死因の定義であり胃瘻(いろう)や点滴などをするかしないかは関係ありません。

尊厳死

不治かつ末期の病態になったとき、自分の意思により、自分にとって無意味な延命措置を中止し、人間の尊厳を保ちながら死を迎えることです(日本尊厳死協会)。後述の平穏死や老衰死が高齢者の終末期に重きを置いているのに対して、尊厳死はがんや神経難病の末期にも大きくかかわってきます。

平穏死

高齢者が老衰や認知症の終末期などで末期的な状態に陥り、助かる見込みもなく、ついに自分の力で食べることや飲むこともままならなくなってきた時に、胃瘻(いろう)、経鼻胃管、末梢血管あるいは中心静脈からの点滴等で人工的な水分栄養補給をすることなく、身体の自然な状態のままに迎える死のこと。つまり老衰死の中に平穏死があるわけです。

老衰死、平穏死については以下の本を読むことをお勧めします。

当院では在宅医療を積極的に行っています。年間35~40名ほどの患者さんを在宅で看取っています。近年はその約40%が末期がんでの看取りで、40%が老衰での看取りという傾向になってきました。そこでここでは、主に末期癌での看取りにおける尊厳死と、平穏死を含む老衰死についての考えを述べてみたいと思います。

末期がんにおける尊厳死

がんの末期状態になり、これ以上積極的な癌に対する治療ができないか、しても効果が期待できない状態となり、緩和ケアが中心になると予後(寿命)や看取りということを意識すると思います。

そのような状態になっても一縷の望みにかけて最後まで化学療法等を希望される患者さんもいます。或いは自分の残りの少ない時間をどのように過ごすかを考える方もいます。

そこで考えられるのが尊厳死です。前述したように自分の意思により、自分にとって無意味な延命治療を中止し、人間の尊厳を保ちながら死を迎えることです。

尊厳死を希望する場合に、自分の意思であることを表明するためにリビングウィルとか事前指示書というものがあります。回復が期待できない終末期になった時に、点滴、胃瘻(いろう)、人工呼吸器、心肺蘇生術等の延命処置のどれを希望しどれを希望しないかを事前に書面に記載したものです。

それらの延命処置をすべて希望しないで死を迎える場合が尊厳死です。そしてリビングウィルには、最後まで自分らしく生きるために苦痛を取ることについては積極的に希望するということが書かれていることが多いです。

そこが老衰死や平穏死と少し違うところで、しっかりした緩和ケアで苦痛が取れていることが尊厳死には望まれているのです。

尊厳死を望まれる方には、医療用麻薬や各種の緩和ケア療法を駆使して苦痛を最小限にして、さらに精神的なことまでフォローすることが医療者の務めだと思っています。

延命治療で一番問題になるのが点滴です。末期状態になっても、まだ生命予後が1~2カ月以上期待できる場合があります。頭もはっきりしていてある程度動けて、むくんでもいないが、食事や水分があまりとれない場合に点滴をすることは妥当だと思います。

しかし病状が進行してくると点滴の水分を体が処理できなくなり、逆に胸水や腹水、浮腫(むくみ)を増悪させて患者の苦痛になってきます。だいたい死の2週間くらい前になると、そのような状態になってくるので点滴を1日1000ml以下(多くは500ml以下)に減らします。

尊厳死を望んでいる患者さんには、もっと早い時期に点滴を中止することもあります。しかしご家族の中には、点滴を中止することは、何もしないで見捨てることと考える方もいます。その場合にはよくお話をして、今は点滴が苦痛の原因になること、点滴以外にも傍にいたり、手を握ったり、マッサージするなど本人の苦痛緩和ためにできることがたくさんあることを説明して理解してもらいます。

このように尊厳死は本人の意思に基づいて、ご家族や医療者、介護スタッフ等がチームとなって迎えるものと考えます。特に在宅の場合はそのように迎えた死は、ご家族のなかに、本人の意思に沿って皆が力を合わせて見送れたという、ある種の納得感と達成感をもたらせることが多いと思います。リビングウィルについては日本尊厳死協会のホームページ等で調べてみてください。

平穏死を含む老衰死

おじいちゃん、おばあちゃんが高齢になって末期癌でもなく、脳出血や脳梗塞でもなく、心筋梗塞や肺炎等の病気もなくて、それまで話をしたり食事が摂れていたのに、徐々に言葉が出なくなり食事もあまり食べなくなってきた時に老衰なのではと考えると思います。

老衰とは先に述べたように老化に伴って自然に体の働きが全身的に不可逆的に衰えていって死を迎えていく状態です。しかし老衰と診断することは実は難しいことなのです。明らかな病気がないということを厳密に証明するためには病院に入院してあらゆる検査をしなければなりません。

老衰かどうかと思われるような方は寝たきりです。寝たきりの方を入院させて検査することは現実的ではありません。するとすれば採血くらいで、あとは特に目立った症状がないことや緩徐な経過等を総合的に判断して老衰と診断します。

総合的というのは医師が勝手に判断するのではなく、ご家族への説明と話し合いでの納得も含めるという意味です。ただし脱水で老衰のように見える方は点滴をすることで回復することもありますし、鎮静系の薬をやめるだけで元気になったり、ある種の薬を使うと見違えるように食べだすことがあるのでその点は注意を要します。

老衰と診断して、いよいよ口から食事や水分を摂ることができなくなった場合はどうしたらいいでしょうか。いわゆる延命行為をするかどうかということです。この場合の延命行為は栄養水分補給に関してで、経鼻胃管や胃瘻(いろう)からの栄養注入、中心静脈栄養、末梢点滴、皮下点滴などです。

おじいちゃん、おばあちゃんに1分1秒でも長生きしてほしいと思うご家族はこれらを希望します。場合によっては入院してでも延命してほしいと考えるご家族もいます。これらは否定されるものではありませんし、私たちはその希望をかなえるように努力します。

一方「平穏死」のすすめ を書いた石飛先生は言います。「老衰の人は食べないから死ぬのではない。命を終えようとしているのだから食べないのです。食べないと餓死するのではなく、もう間もなく死ぬから食べないのです。このころ空腹感はなく食べないことへの苦痛もなく穏やかに最期を迎えることができるのです。これが平穏死です。」

私も多くの老衰死を看取ってきました。胃瘻(いろう)を続けた方、点滴を続けた方、点滴をしたが途中でやめた方、延命行為は一切しないでいわゆる平穏死を迎えた方。平穏死を迎えた方は、むくんだりすることなく本当に枯れるように亡くなった方が多いと思います。

実際、当院の副院長の母も施設で平穏死を迎えました。食事を一切食べなくなり、ジュースや水を1日300~600mlだけ飲む状態が約3カ月続き、それも飲まなくなって10日後に本当に静かに息を引き取りました。

このような選択肢もあると思いますので、老衰や病気で判断ができなくなる前にリビングウィルに自分の希望を書いてご家族と共有しておくことをお勧めします。